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いろいろな茶山

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プーアル茶について知ってくると「六大茶山」という呼称に出会います。しかし、六大茶山にはいくつかの六大茶山があって、それが話をややこしくします。ここではそんな六大茶山について紹介します。

六大茶山の歴史

動植物の宝庫と呼ばれる秘境雲南省。そこにはいくつものお茶の産地があります。雲南省のお茶の産地と言ってまず出てくるのは「六大茶山」です。六大茶山の呼び名が登場するのは清朝に入ってからですが、唐の時代には「雲南志」のお茶の産地の記述に「出銀生城界諸山」とあり、これは現在のプーアル市とその周辺の山々という意味で、それが後に六大茶山と呼ばれるようになります。

旧六大茶山について

六大茶山という呼称が歴史上登場するのは清の時代です。この時代は雲南茶が最も栄えた時代でいくつものお茶に関する書物がかかれました。そしてそれらの書物に六大茶山が登場しました。しかし、それらの記述は一定でなく、六大茶山とはいったいどの山のことなのか?という議論が起こりました。

そんな背景があったので、1957年にプーアル茶の専門家や雲南省の茶葉研究所などが実施調査を行い正式な六大茶山を発表しました。それが旧六大茶山と呼ばれる物です。

革登山
現在は莽枝と一つで同じ山とされる。
莽枝山
現在は革登と一つの山とされる。
倚邦山
小葉樹によるお茶作りとして知られる。
蛮磚山
曼砖山、蠻磚山、曼庄、蛮邁とも呼ばれる。
漫撤山
易武山を含む。古くからのプーアル茶集積地。
攸楽山
中国語表記は攸乐、基諾山とも呼ばれます。

現在攸楽山は景洪市に属し、他の旧六大茶山は象明茶区に属します。

易武写真雲南省にあるいくつもの茶山のうち、これらの山々が栄えた理由は気候がお茶の生育に適していて、お茶のクオリティが高かったことは当然ですが、後述の新六大茶山ではなく、旧六大茶山が栄えた理由は物流にあります。旧六大茶山は当時の街道(茶馬古道)沿いあり、そのため交易が盛んになり、お茶作りが盛んになり、栽培技術、製茶技術が発展しその名声を獲得して行きました。当時はその他の地域でもお茶作りはされていましたが、少数民族が自分たちで消費するための物が主でした。

新六大茶山について

清の時代まで栄えた旧六大茶山にも時代の流れはやってきます。清時代の後半から中華民国初期にかけて、旧六大茶山は自然災害、フランスや日本軍の進軍などによって物流が滞り、それにつれて旧六大茶山でのお茶作りは衰退しました。

しかし、人はお茶を飲むことを止めません。旧六大茶山が衰退すればその他の茶山がそれに替わってお茶の製造を始めます。お茶の生産、物流の観点から瀾滄川西の地域に近代的工場がたてられました。1938年には現在の孟海茶厰の前身、思芽茶葉試験所が南糯山に設立されます。新しいお茶の産地は当時のマーケットのニーズを満たし成長します。そうして新たに成長して行った茶山達がいつしか新六大茶山と呼ばれるようになりました。

布朗
班章、老曼峨などを含むミャンマーとの国境地帯。
巴達山
賀松山とも呼ばれます。樹齢1700年の茶樹王があることでも知られる。
南糯山
喬木型大葉種が多く、樹齢800年の茶樹王で知られる。
南嶠山
孟遮と呼ばれる。中葉樹であっさりと甘口のお茶です。
孟宋山
正しくは’孟力’宋。中葉樹の灌木が多い茶区です
景邁山
動脈硬化に有効という螃蟹脚が寄生した茶樹でも有名

これら新六大茶山は新たにお茶作りを始めた茶山という訳ではありません。上でも述べましたが、古くから少数民族によるお茶作りがなされておりその歴史は1000年以上あります。そしてこの地方も旧六大茶山と同じようにお茶作りにあった気候をもっていました。温暖な気候と霧に包まれた山々。こういった気候がお茶の樹を育み、優しい、美味しいお茶を生み出します。

六大茶山茶厰の茶山について

六大茶山は以上のように落ち着いていたのですが、2002年にその名も六大茶山茶業有限公司が設立されます。そして彼らは彼らのセレクションによる六大茶山を打ち出しました。それが以下のようになります。

南糯山
新六大茶山
倚邦山
旧六大茶山
班章山
新六大茶山布朗山にある賽の一つ
易武山
旧六大茶山慢撤山に含まれることも
邦崴山
お茶の起源が中国であることを証明した木があることで有名。
攸楽山
旧六大茶山

新旧六大茶山のいい所取り+邦崴山なのでなかなかうまくできているのではないでしょうか。
邦崴についてですが、邦崴は近年、それまでお茶の起源はインドであるという学説を覆し、お茶の起源が中国にあることを決定づけた樹があることで有名です。

以上が現在主に呼ばれる六大茶山です。山の数全部で13あります。

山頭主義と茶産地

以前は大きく茶山としてのくくりで語られていたプーアル茶ですが、ワインが農園ごとに味が異なるように、プーアル茶もより詳しく産地の味わいを見いだしていこうという機運が高まっています。同じ種類の茶樹であってもその生育する場所、気候によって味は変わってきます。ここでは数ある茶産地からいくつかの産地について注目してみます。

班章

班章は雲南省の、ミャンマーとの国境近く、布朗山にある賽(村)の一つです。この地方、布朗山はその名前の由来ともなっている布朗族が1000年も前からお茶作りを始めたと言われ長いお茶作りの歴史をもっています。
ここの気候も易武と同じように年間平均気温は18〜20度で、雨量も多くお茶作りに適しています。
現在、班章は茶葉に最も高い価格がつく茶山で、そのお茶の味は「香気高、茶気重」と言われ、その強い味に特徴があります。

易武

易武は旧六大茶山の中で最も有名な茶山で、雲南省部にある景洪市から東北東110kmのところに位置します。
易武は中国語で”Yi-wu”と発音します。これはもともとはダイ族の言葉で「美しい蛇」という意味があります。そして、その伝説の中で易武山は「花蛇王」の住む場所でした。
そんな易武は年間の平均気温が18度と温暖で降水量が多いので豊かな自然を育みます。そして、易武は霧が深いことでも知られそれが程よく日光を遮り、渋味が少なく優しい甘みのある茶葉を育てます。そのため易武のお茶の味は「柔和」とされ、苦味渋味が控えめですが、香り高い飲みやすいお茶です。

冰島

臨滄市の西側に位置する冰島は、孟庫大葉種のふるさと。孟庫茶区の中で最も古い茶園があることで知られ、その歴史は700年以上昔に及びます。
冰島は大雪山の中腹にあり、茶園は標高は1500m-2000mに位置します。 孟庫大葉種のなかでも冰島産のプーアル茶はその特別な味わいから冰島大葉種と呼ばれ「苦味の少なさと回甘の早さ」が特徴で、その後味の良さが特に評価されます。孟庫茶区の風味は冰島の東と西とで別れるとされています。

老曼峨

老曼峨は班章山と同じく布朗山にある賽の一つです。班章賽と老曼峨賽は非常に近く、距離にしてほんの10kmもありません。この老曼峨は布朗山の中で最も古く、村には1369年に建立された仏塔がそびえています。村民は皆敬虔な仏教徒で村民のほとんどが農業に従事、または僧侶を生業としています。
老曼峨の周りには古茶園が広がり、その広さは215ヘクタールになります。現在でも昔ながらのお茶作りがされていて、古茶園では完全有機栽培が行われています。この辺りの喬木は背が高く、その味わいは苦味が強く特徴があるとされます。

大雪山

臨滄市の西側に広がる大雪山はプーアル茶の産地の中でも最も標高の高い産地として知られています。大きな山なのでたくさんの茶園がありますが、大雪山プーアル茶といえばその中でも2200-2750mと特に標高の高い茶園で摘まれたプーアル茶を指します。
プーアル茶の産地の中でも比較的北側に位置し、標高も高い大雪山の茶園は、季節による温度差も大きく、厳しい冬の間に栄養をしっかりとためた茶葉が芽吹く明前茶葉は他の茶区よりも意味合いが深く、特別なものとなります。

王、女王、皇后

数あるプーアル茶の産地の中でも貢茶の歴史を持つ易武、2000年代初頭に見いだされた班章の人気は高く、それぞれプーアル茶の王と女王と呼ばれます。
また、2000年代後半から注目されてきているのが冰島で、孟庫大葉種発祥の地とされる冰島の母樹群の風味は特別で、大変高く評価されています(まがい物も多いですが)が冰島のプーアル茶は皇后と呼ばれることもあります。

茶山について簡単に紹介しましたが、どの茶山、茶区が良い悪いの話では全くなく、それぞれの産地の特徴を楽しむようにしたらいいかと思います。そして、プーアル茶文化の芸術であるブレンディング、そして熟成を楽しむことを忘れないことが同じように大事なことです。

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